食べすぎた午後に、飛行機が飛んでいた。都庁展望台で気づいたこと

旅・おでかけ

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お会計を済ませて「樹林」を一歩出たとき、私たちの胃袋は完全にキャパシティを超えていた。

正直、お腹がいっぱいすぎて一歩も動きたくない状態。友人と「このままでは、とてもじゃないけれど電車に乗れないね……」と言葉を交わし、ひとまず京王プラザホテルの広々としたロビーへ。
ソファに深く腰掛け、30分ほど体を休めることにする。

冷たいかき氷やドリンクをあれだけ詰め込んだ後の、ホテルのキンキンに冷えたロビー。30分も経つ頃には、すっかり体の中も外も冷え切ってしまった。

外の熱気が少し恋しくなり、「近くをちょっと歩いて温まろうか」と重い腰を上げて建物を出た、まさにその瞬間——。

目の前に、圧倒的な存在感でそびえ立つ東京都庁が現れた。

※前回の記事はこちら:マンゴーが食べたい、その一言から始まった。京王プラザホテル 樹林のスイーツビュッフェ

目の前に見えているのに、なぜかすんなりたどり着けない。 道路を渡ろうにも横断歩道が見当たらなかったり、あちこちが工事中だったり、ようやく見つけた入口が思っていた方向と全く違ったり……。皮肉なことに、大きな建物ほど、近くに行けば行くほど迷宮に入り込んでしまう。

そんなとき、救世主となってくれたのが友人だ。かつてこのエリアに勤務していたという彼女は、「こっちこっち」と慣れた足取りで、複雑なルートをすいすいと進んでいく。

土地勘のあるプロフェッショナルが隣にいてくれるだけで、さっきまでの「迷子の不安」が、不思議と「お散歩の余裕」へと変わっていくから面白い。これって旅先で、地元の人にローカルな裏道を案内してもらうときに、一気に見える景色が変わるあの感覚にそっくりだ。

最初から計画していたわけじゃない。すべては食べすぎた午後の、成り行きまかせの散歩。 けれど、旅でも日常でも、あらかじめ決まっていた予定調和のルートを外れ、予期せぬ場所に迷い込む瞬間にこそ、一番の記憶が眠っていることがある。

この日の散歩も、まさにその通りの展開になっていくのだった。

展望台は、無料だった

都庁の足元を歩いていると、ふと「展望台」の文字が書かれた看板が目に飛び込んでくる。 「そういえば、ここって何時まで入れるんだろう?」 閉館時間がわからないまま、まずは行ってみようと友人と顔を見合わせる。エレベーターに滑り込んだのは、本当にちょっとした気まぐれからだ。

後から分かったのは都庁の展望室には「南」と「北」の2つがあると言う事。案内を見ると、北展望室は入場の締め切りが17時で、夜間の開室が17時30分。
私たちが到着したのはちょうど17時頃だったため、自然とそのまま開いていた南展望室へと導かれる。

そして、驚くべきは「入場料は無料」という事実。 地上45階、高さ202メートルからの大パノラマを、まさか1円も払わずに愉しめるなんて……。

都内にこうした絶景スポットがあることは、知識としてはなんとなく知っていた。けれど、実際に足を運んで上ってみたことは一度もない。 私たちは旅先であれば、わざわざリサーチをして、それなりの入場料を支払ってでも喜んで展望台に上る。それなのに、自分の日常のすぐ隣にある「無料の特等席」には、これまで目もくれず素通りしていたのだ。

「知っていること」と「実際に体験すること」の間には、いつも想像以上の距離がある。 エレベーターがぐんぐんと上昇していくG(重力)を感じながら、身近な場所に眠っていた新しい扉をまた一つ開けたような、そんな新鮮な高揚感に包まれていた。


スカイツリーはすぐ見えた。東京タワーは、探した

展望フロアに一歩足を踏み入れ、真っ先に目に飛び込んできたのはスカイツリーだ。天に向かってすらりと伸びる、あの独特でモダンなシルエットはどこにいてもすぐにそれとわかる。

ところが、もう一つの主役であるはずの東京タワーが、どうにも見当たらない。 案内板で方角を確かめ、友人と二人でビルとビルの狭い隙間をじっと目を凝らして追っていく。すると——コンクリートのジャングルの奥深くに、懐かしい赤と白のシマ模様が、ほんの少しだけ顔を覗かせているのを発見した。 「あった、これだ!」と思わず顔を見合わせ、宝物を見つけたかのように小さく歓声をあげる。

ほんの数年前までは、ここからでもテッペンまで綺麗に見えていたのかもしれない。けれど今や、新しく建ち並ぶ高層ビルの隙間から、まるで恥ずかしそうにチラリと覗くのが精一杯。私たちがすぐに見つけられたスカイツリーだって、いつかは周囲のビルに埋もれ、隠されていく日が来るのだろうか。

凄まじいスピードでビルに埋め尽くされていく、東京の空。 けれど、その変化をけっしてネガティブには捉えたくない。むしろ、「今見えている景色は、今この瞬間にしか出会えない有限のものなのだ」という事実を、この展望台はリアルに教えてくれる。

この日はあいにくガスがかかっていて、楽しみにしていた富士山方面の絶景を拝むことはできなかった。けれど、それすらも「また次の機会に来る理由」を街がそっと残してくれたのだと思うと、なんだか愛おしい。

飛行機のお腹が、見えた

しばらく景色を眺めていると、コンクリートのジャングルの真上を、一機の飛行機が音もなく通り過ぎていく。それだけでなく、まるで等間隔に引かれた見えないレールをなぞるように、次から次へと何機も続けて。

地上202メートルのこの高さから見上げる空は、地上から見るそれとは全く別物だ。普段は見ることのできない、飛行機の「お腹(底面)」のディテールが恐ろしいほどはっきりと目に飛び込んでくる。

展望台に上るたびにわざわざ飛行機を探すわけではないけれど、この日は面白いほど何機も私たちの頭上をかすめていった。そのたびに、まるで「こっちだよ」と手招きされているような、不思議な感覚に囚われる。

気がつけば、頭の中はすっかり次の旅のことでいっぱいになっていた。「次にあの機体に乗るのはいつになるだろう」「家に帰ったらさっそくマイルの残高を確認しなきゃ」——。

さっきまでスイーツビュッフェで満腹になり、成り行きだけで上ったはずの都庁の展望台。それなのに、飛行機のお腹を見つめているだけで、思考はあっさりと「旅」の目的地へと引き戻されてしまう。

日常のすぐ隣にも、旅へと繋がる回路はいたるところに転がっている。たとえ意識していなくても、心の中に「旅人としてのアンテナ」が立っている限り、私たちは自然とそこへ引き寄せられていくのかもしれない。旅というものは、けっして遠く離れた旅先だけで起きるものではないのだと、東京の空を見上げながら深く腑に落ちたのだった。

飛行機を見ながら、次はどこへ行こうかと妄想が広がった。
その妄想旅行の話はこちら:妄想旅行①モンサンミッシェル(近日公開)

夕暮れを狙う外国人たちに学んだこと

私たちがエレベーターで上がったときは、フロア全体にまだほどよくゆとりがあった。ところが、ひと通り景色を愉しんで地上へ降りたら、エレベーターホールの光景に思わず足が止まる。

これから展望室へ上ってくる側の下のフロア(あるいは受付)には、フロアをぐるりと取り囲むような長い長い行列。そしてその大半が、海外から訪れた外国人観光客たちだったのだ。

真夏の夕暮れ時は、まだまだ先。それなのに、なぜこれほどの人が今から並んでいるのだろう?
「もしかして、みんな確信犯でこれからの時間を狙って来ているんじゃない?」
隣の友人がポツリと呟いた一言に、ハッとさせられる。

言われてみれば、これ以上ない完璧な逆算だ。 18時を過ぎ、ゆっくりとドラマチックな夕暮れの色に染まり始めるこれからの時間帯は、刻一刻と表情を変えるグラデーションの空と、きらめき始める大都会の夜景を「一度に両方」愉しめる魔法の時間。彼らはその価値を事前にしっかりとリサーチし、混雑を見越してピンポイントでこの時間から動き出していたのだ。旅先での徹底した情報収集力と、時間を味方につける貪欲な姿勢には、ただただ脱帽するしかない。

もし自分がパリに旅をしてエッフェル塔に上るなら、やはり一番美しい夕暮れ時を狙って計画を立てるだろう。それなのに、東京の真ん中にいるときは、そんな旅の基本中の基本すら忘れてしまっていた。

同じ場所であっても、「いつ行くか」によって得られる体験の価値は180度変わる。旅先における時間の選択は、目的地を選ぶことと同じくらい、いや、それ以上に大切なのだ。

私たちはこの日、食べすぎて、ロビーで休んで、思いのままに散歩した結果、混雑に巻き込まれる前の快適なタイミングでこの場所に身を置くことができていた。それは計画ではなく、私たちの「胃袋と体の都合」が偶然連れてきてくれたギフトのようなもの。

けれど、この行列を目撃したおかげで、次からは「意図して」時間をコントロールできるようになる。 こうして日常の延長線上にある何気ない散歩から、次の旅の質を高める選択肢を増やしていくこと——それこそが、私がこのブログで重ねていきたい「学び」の本質なのだと思う。

ファーストクラスで世界一周するという大きな夢へのロードマップも、実はこうした日々の小さなしつらえと、気づきの積み重ねの先にあるのかもしれない。

歩く歩道が、綺麗になっていた

展望台を降りて駅へと向かう帰り道、ふと「歩く歩道」に差し掛かる。 実は以前、この近くにある新宿住友ビルへ何度か通っていた時期があった。当時の私の記憶にある「歩く歩道」といえば、両サイドにホームレスの方たちがびっしりと段ボールを並べて暮らしている、どこか独特の重い空気が漂う場所だった。

それが今や、見違えるほどクリーンに整備され、明るく洗練された空間へと生まれ変わっている。 まったく同じ場所を歩いているはずなのに、脳内にある過去の記憶と、いま目の前にある景色がどうしても重ならない。なんだか狐につままれたような、不思議な感覚に陥る。

街は、生き物のように姿を変えていく。 変わらないのは、かつてそこにいた人間の記憶だけだ。きっと10年後にまたここを歩いたとき、今日のこの綺麗な景色すらも「昔はこうだったよね」と懐かしむフォルダーにしまわれているのだろう。

現在、新宿駅の西口エリア全体が大規模な再開発の真っ只中にある。 変わりゆく街並みを眺めながら、隣の友人が「10年後に来たら、私たちはまた大都会の浦島太郎になっちゃうね」と悪戯っぽく笑った。

本当にその通りかもしれない。けれど、変化を恐れる必要も、止める必要もどこにもない。 ただ、こうして変わり続ける場所を五感で歩くたびに、私たちは目に見えない時間の不可逆な流れを、確かに体で受け止めている。

特別なパスポートを持って遠くの国へ行かなくても、日常の延長線上にある何気ない散歩のなかに、気づきや学びはいつも向こうからやってくる。満腹の午後に始まった成り行きの散歩は、東京の真ん中で、私の中に眠る「旅人のアンテナ」を心地よく震わせてくれる最高のひとときとなったのだった。

※都庁展望台の開室時間・休室日は変更になる場合があります。お出かけ前に東京都公式サイトでご確認ください。

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